どうしても我が子の障害を受容できない親たち~「普通」「人並み」にこだわる家族〜(立石 美津子)

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私()は自閉症の子を育てている親として、保護者向けに話をする機会がある。そこで、様々な質問を受ける。その中で「どうしても我が子の障害を受容できない」という人がいる。何故なのか考えてみた。

 

・知的遅れが軽かったり、なかったりして障害が軽すぎる。だから「うちの子に障害があるはずがない」と思ってしまう。

 

・親自身の人生の中で障害者と接する機会が全くなかった。我が子が初めての障害者。そのため、親自身が「障害があることは恥ずかしいことだ。不幸なことだ」と思っている。

 

・自身の親から「人並であること・普通であること」を押し付けられて育ってきた。だから我が子にも「普通であること」を強く望んでしまう。

 

 

講演会に足を運んでいる人はまだ救われる。どうしてかというと「今のままではダメだ。何とか解決の糸口を見つけないと」と思っているからだ。反対に「発達障害…」の話に耳をふさぐ人は「聞きたくない」と欠席する。現実に目をそらしていると苦しむのは、まぎれもなく我が子なのに…。

 

■3つの質問
多く受ける質問は以下の3つ。

 

1.家族間での意見の対立
「夫婦や祖父母との間で意見が対立している。母親である自分は保育園で同じ年代の子を見る機会が多い。当然、気づきが早く我が子の異質な行動について発達障害を疑っている。

でも、夫や姑は違い、次のように責められてしまう。
『ちゃんと躾をしていないのが原因だ!もっとしっかり子育てしろ!』
『療育や手帳をとるなんて、障害者のレッテルをこんなに小さいうちからつけるのか!伸びるものも伸びなくなる!』
『似たような子は沢山いるじゃないか!個性の一つなんだから、長い目で見ろ!』

これが原因で夫婦喧嘩が絶えない。子どものことだけで大変なのに家族観の諍いで頭がおかしくなりそうだ。

更に夫は子どもに向かって『どうしてお前は周りの子と同じことが出来ないんだ!』と言葉の虐待をする。そんな状態が永遠に続くようだったら、自分と子どものために離婚という方法もあるのではないかとふと思う。でも、経済的に踏み切れない。

 

(筆者の考え)
家族の説得は諦めて、母親だけで黙って行動すればよい。どうしてかというと、大人の考え方は早々、簡単には変えられないからだ。特に姑が子育てしていた時代は「子どもが自閉症になるのは冷蔵庫マザー(=愛情をかけない親)が育てたからだ」とまで言われていた。そんな相手に理解してもらうのは土台無理だ。話し合いをしているうちに母親が心を病んでしまう。

療育施設に通っていることも、療育手帳を取ったことも黙っていればよい。そして手帳はタンスの中に隠しておけばよい。(療育手帳を持っていることは戸籍や住民票には載らない。源泉徴収票にも障害者を扶養していることは申請しない限り記載されない)手帳を持っていることで、生涯にわたり様々な福祉サービスを受けることができ、子どもを救ってくれることになる。

ただし、通常級か支援学級か進級先について意見の相違があったら、黙っていることはできない。授業参観に来られたらバレてしまうからだ。こんなときは夫婦間で言い争いはしないで相談機関(発達障害児支援センターなど各自治体にある)に入ってもらい、第三者である専門家から伝えてもらうとよい。その方が聞く耳を持つこともある。「あの時は大反対したが、今考えるとよかったな」と夫から感謝される日がきっと来るに違いない。

 

2.将来、兄弟の結婚が破談になってしまうのではないか
「親が障害のある子にかかりっきり、我慢、我慢の人生を歩ませている。将来、結婚のとき身内に障害者がいることを相手に知られたら破談になってしまうのではないか…」

 

【筆者の考え】
話したことにより破談になってしまうような相手と結婚したら、不幸せになるのではないか。仮に障害児が生まれたらまた苦しむことになる。だから、兄弟姉妹に障害者がいても、それごと受け止めてくれる相手と結婚した方がきっと幸せになれる。

 

3.ママ友が離れていく不安
「子どもが周りに理解され、支援を受けるためにカミングアウトしたい。担任には伝えることが出来る。でも、ママ友にまで伝えてしまったら私や子どもから、離れてしまうのではないか…と考えてしまい、二の足を踏んでしまう。」

 

(筆者の考え)
世の中には色んな考え方をする人がいる。そんな人とは付き合わないでいい。障害者を嫌う人と仲良くしようとすること、親にとっても子どもにとっても、決して良い影響は与えない。

また、伝えないでいると「躾が出来ない母親」として誤解されてしまうかもしれない。私の場合は公表して、逃げて行った人はたった一人だった。他のママ友は「そうなんだ。困ったことがあったら協力するね。応援しているね」と言ってくれて、自分自身が楽になったことを思い出す。子どもの幸せに焦点を当てて、今どうすれば良いのか考えてほしい。

学校選びを間違える、これは教育虐待なのか?教育虐待という言葉がある。「あなたのため」という大義名分のもと、親が子どもに課す行き過ぎた躾教育のことである。本人の能力以上の成績を望む、親が成しえなかった夢を子どもに託す。本人が望まないのに色々な習い事をさせ過ぎるケースもそれだろう。
以下は「障害児の学校選びのときも言えるのでは」と感じた事例である。

 

■放置されてしまう子
知的障害が軽くはない子、小学校の進級先を選ぶとき、親は「取り合えず通常学級に入れていよいよ着いていけなくなったら支援級に移してもらおう」と考え、通常学級に進級させた。でも、「いよいよダメになった時点」で本人は虐められたり、自信をなくしたりして傷ついている。

 

ただし、教室から脱走したり、暴れたりすれば「ここには居たくない」という本人のSOS担任も保護者もキャッチすることが出来るので、そこで支援学級への移動を考えることも出来る。

 

問題なのはおとなしい子だ。椅子にじっと座っているディドリーマータイプ。奇声を出したり立ち歩いたりしないので、教師にとってはある意味扱いやすい子である。通常学級の中にポツンと座っていて義務教育の9年間、放置されてしまうケースもある。

 

具体例を挙げよう。
知的障害が軽くはないのに、小学校、中学校を9年間通常学級で過ごしたA君。義務教育は中学までなので、親の意向が最優先され通常学級にいることは出来たが、高校受験する学力はなかったので特別支援学校高等部に入学してきた。

 

入学してみるとA君以外のクラスメートは皆中学では特別支援学級の出身者であり、A君より障害は軽い子たちで、登校、着替えなどの身辺自立はもちろんのこと、読み書きもある程度できていた。

 

更に「わからないから助けてください」とSOSを出す教育を受けているので、相当なことが出来るようになって高等部に入学してきていた。

 

ところが、通常級に9年間いたA君は特別支援教育を受けていれば、出来るようになっただろうこと、例えば着替え、一人登校なども身についていないまま特別支援学校高等部に入学してきた。

 

■オムツをつけている重度の知的障害児
小学校入学時、排泄の自立が出来ずオムツをつけていたB君。行政からは特別支援学校を薦められたが、親の意向で地元の公立小学校の特別支援学級に入学してきた。

 

ところが、支援学級は知的に軽い発達障害の子で占められていて、授業内容は算数やら国語やらB君にとってはチンプンカンプンのものであった。ただ、この子も動きは激しくなかったので、他の子に迷惑がかかるという状況ではなかった。

 

授業中に大便をしてしまうのでオムツ交換、机の上のプリント類を食べてしまうので吐かせる、このような状況なので支援員が付きっきりの世話をしていた。

 

このクラスには行動に課題があったり、勉強を個別に見てもらったりしなくてはならない発達障害児も多くいたのに、支援員はマンツーマンでB君についてしまっていた。他の保護者から「私達の子どものための支援員でもあるのに」とクレームが出ていた。

 

さて、同じようにトイレの自立が出来ていないC君がいた。C君は特別支援学校に入学した。個別支援計画で「排泄の自立」が明記され、入学した4月にはオムツが取れて自分でトイレに行けるようになった。

 

B君は6年生までオムツはとれなかった。
支援学級ではオムツ交換はしてくれるが、トイレトレーニングまではしてくれなかった。「もし、B君が特別支援学校に入学していたら、小学校卒業時にはオムツはとれていただろう」と支援学級の保護者間では囁かれていた。

 

■支援級がある小学校で
支援学級が併設されている小学校、車いすで知的にも重度のDさんがいた。親の意向で通常学級に通っていた。「車いすで知的障害があっても通常級で学んでいます」の美談として新聞に掲載されていた。この学校の支援学級ではDさんよりも障害の軽い子が大勢学んでいた。「あれって親の満足だよね。本人は言えないからね、ある意味教育虐待だよね」と支援学級の保護者が話していた。

 

■インククルーシブ教育の拡大解釈
障害のある子とない子が共に学ぶインクルーシブ教育の考えは素晴らしいが、これが拡大解釈されて、教育現場すべてを混ぜこぜにするのは果たして本人のためになるのか?本人に適した教育環境で学ばせることが将来の幸せや成長につながるのではないかと感じる。

今は親の希望が最優先されるので

・通常学級に発達障害の子、知的障害の子がいる。
・支援学級に排泄の自立が出来ていない重度の子がいる。
・支援学校に知的に軽い発達障害の子がいる

という状況になっている。
担任はこの環境で保護者から「うちの子にあった指導をしてほしい」と要求され、指導が困難になり疲弊している現状もある。

 

■経験していないとわからないかも
知的遅れのある子を通常級に行かせようという親の会もある。それらの考えの人には到底受け入れられないだろう。双子を育てている人に「大変でしょ」と言っても、双子しか育てていないので、自分が大変かどうか正確な回答ができない。もしかして1人の子でも同じように大変さを感じるかもしれない。

 

それと同じで、息子に特別支援教育しか受けさせていない私は、障害児が通常学級で学ぶ良さを経験していない。そんな私が偉そうに言う資格はないのかもしれないが、なぜ素晴らしい特別支援教育という制度があるのにこれを受けさせないのか不思議に思う。特別支援学級に入学させたくても、知的遅れがないので入れてもらえない、療育手帳がないため、特別支援学校に入学できない子もいるのに…と思う。

 

私は知的障害者の移動支援、ガイドヘルパーの仕事をしている。特別支援学校高等部を卒業した青年が誇らしげに「僕はスペシャルスクールを卒業したんだ」と笑顔で語っていたのが印象的であった。

 

 

(参照)
【寝たきり社長の働き方改革(25)インクルーシブ教育の是非とその先2018/10/18(木) 18:00配信THE PAGE より】

https://www3.nhk.or.jp/lnews/yokohama/20200318/1050009447.html